開院までの経緯

開院までの経緯

表参道 首藤クリニック院長の首藤紳介です。

こちらは、私自身のこと、そして当クリニックがオープンした経緯を知っていただくためのコラムです。

(1)私が医師を目指した経緯

私の実家は田舎の小さなお米屋さんでしたが、小さい頃に私が交通事故に合ったり、
皮膚病などでたびたび病院を受診していた経験からでしょうか、
小学校卒業の頃にはなぜか「医師になる」と決めていました。
医師が堂々と私の身体を治療していく様子は、とてもすごいなぁと、子ども心に思っていました。
医師になるというなんとなく明らかなビジョンに向かうため、中学受験をしました。そして小学校卒業後、親もとを離れ、
寮に入り、中高一貫の進学校に入学し、勉強に励んでいました。
中学・高校の間は、「健康になるには?」「病気にならないためにはどうしたらよいか」「どんな生き方が幸せなのか」
「人間とはいったいどんな存在なのか?」などということには興味がありました。
高校時代、実際に進路を決める際に、医師になるか迷った時期もありましたが、人助けに興味があったことと、
自分の疑問に答えを出すのに一番近い職業、自分の適性に合った職業が「医師」であると最終的に判断し、
医学部に入学しました。
ちなみに、私自身、高校時代は、むやみやたらと医者にかかるのがあまり好きではない「医者嫌い」の
傾向がありましたので、「医者嫌いの人も受診しやすい病院をつくれたらいいな」という漠然とした考えもありました。
医者にあこがれているのに既存の医者にかかるのが嫌いという不思議な感覚でした。
その頃すでに、既存の医療になんらかの違和感を感じていたのかもしれません。


(2)医学部の学生時代に感じたこと。

医学部に入学し、実際に医学部で勉強すると、その内容は「病気の定義」のことであったり、
「診断の方法」「治療の方法」のことだったりで、「健康はどのようにして創るのか」
「どのようなものを食べれば健康になるのか」「心が健康になるにはどうしたらよいか」「人間とはどのような存在か?」
などということに関しては、いっさい触れませんし、医学部では誰も教えてくれませんでした。
治療は、薬や手術の話ばかり。そして、人と接する職業であるにも関わらず、
「人とのコミュニケーション法」についての授業は6年間のうちほんの少ししかありませんでした
(OSCEといわれるものです)。
しかし、とりあえずは与えられた勉強をしないと次にすすめませんので、医師国家試験を受けて、
現代医療のレールにのったわけです。


(3)小児科医になった理由

医師国家試験に合格した後は、どの診療科を専門にするか選択しなければいけませんでした。
どの診療科を選択するのがいいか?…例えば、眼科や耳鼻科などの科では、その部位しか取り扱いません。
内科ですら、「循環器専門」「肝臓専門」「消化管専門」「神経専門」など、かなり臓器ごとにわかれていたりします。
そんな、「パーツしか診ない医者」というのが嫌でしたし、子どもが比較的好きだったこともあり、
「小児科」を選択しました。
大人の病棟に比べ、小児科病棟は雰囲気が明るく感じられた、というのも理由としてあります。
小児科を選択した理由もう一つの理由は、「病気にならない生活習慣」を親や子どもたちに指導し、
そのような生活習慣を身につけるように指導できれば、「病気や世の中の不幸が減る」と考えたからでした。
そうすれば、健康を創るお手伝いをするための活動ができ、最高の予防医学ができる、と考えていました。


(4)小児科医時代に感じたこと

しかし、実際に小児科医となって目にした光景は…。
どの病気の時にどんな薬を使うか、小児救急外来で大切なことは何か、小児がんで苦しんでいる子どもたちもたくさんいる
大学病院でどうしたらよいのか(実際は抗ガン剤治療が中心でした)などが主体でした。
そして、医療現場はどこに行ってもとにかく薬や検査ばかりでした。命にかかわる救急医療で薬を使うことは
絶対に必要ですが、たとえば、単なる鼻水程度の子どもの親御さんも、「薬ください」と言い、
風邪の発熱ときには「抗生物質をください」と言う親御さんが多いのにもびっくりしました。
そんな医療を繰り返していれば、子どもは化学物質まみれになってしまいます。
現代医療の現場では、「健康を創る」という活動ができる場は限られているし、結局は自分の当初の目標からは
かけ離れてしまい、「医師としての理想を実現するのは難しいな」というのが正直な印象でした。
そんな中で「今の時代の名医というのはいったいどんなだろう?」と自問自答しても、「薬の使い方が上手な医者?」
「愛想の良い医者?」などと色々考えていました。「将来自分はどこで、どんな医療をしているのだろう?」という
問いにも、ワクワクする明確なビジョンはあまり見えませんでした。


(5)新生児科医時代に起きた出来事

ある時、縁あって、ある素晴らしい新生児科の医師に出会うことができました。素晴らしい技術と、患者さん思いの
素晴らしい理念、そして素晴らしい組織の作り方を知っている医師でした。その方に憧れ、小児科医の中でも未熟児や
新生児を取り扱う「新生児科」で働くことにしました。NICU(新生児集中治療室)で、未熟児・新生児を助けるために、
自分なりに一生懸命頑張りました。赤ちゃんたちを後遺症なく助けることに全力を注いでいたのです。
なんとか頑張って働いていた当時でしたが、ある時から、私はなんだかおかしな状態になっている自分に気づきました。
「何をしても空回り」「朝から仕事に行くのがしんどくて仕方がない」「死にたくて仕方がない」、
そして、精神的に参るようなことが立て続けに起きるようになっていました。
そして、気づいたら、自分が「うつ」になってしまっていたのです…。
自分がうつに陥っている時は、自分がうつだということに気づきませんでした。
しんどくて、死にたくて、いつも緊張していたと思います。
毎日、頭の中で「死にたい」と考え、病院内で一日中「死にたい」とつぶやいたりしていました。

ある時、ネットで情報を見ていたら、「もしかしたらウツかも…」と思うようになりました。
診断基準がほとんど当てはまっていたのです。そこで勇気を振り絞って、
近所のメンタルクリニック(精神科・心療内科)を受診してみました。話を30分くらい聴いてもらったでしょうか。
「ウツと言っていい状態ですね」と言われ、2種類の薬と睡眠薬を1種類もらいました。


(6)ウツからの脱出

最初は、その精神科の医師に話を聴いてもらえて、共感してもらって、通院が気分転換になっていました。
しかし、いつも薬の調整だけで、「どう考えればウツにならないか」「ウツにならないためには具体的に
どうしたら良いか」などの話がなかったことに疑問を感じるようになりました。
さらに、薬を飲んだからと言って眠気が増すだけで、「考え方が明るくなる」というわけでもありませんでした。
つらいなりに、自分がどうしたらよいか考え、結果、次のようにしようと考えました…

1.薬をやめる。
2.環境を整備する。

まず、「薬をやめる」と決めました。薬を飲んでも、脳の機能を抑制するだけだと体感したからです。
次に、環境を整備しようと考えました。
その頃は、とにかく過労の状態でした。
休日でも入院中の患者さんのことが気になっていたり、やらなければならない課題が常に与えられていたりで、
気持ちが休まることなく何年も働いていました。これは「燃え尽き症候群」だと思いました。
なぜそうなってしまったか?

・自分の実力以上の無理をしていた。
・それは「まわりに良く見られたい」という気持ちが強かったからだった。
・「本当にやりたい」と思っていたことをやっていなかった
(本当にやりたいことが見えなくなっていた、または、現代医療の中にいたため忘れていた)。

であれば、とりあえず「その職場をやめよう」と考えました。その職場の上司は、かなりお世話になった方であったため、
申し訳ない気持ちでいっぱいになりましたが、自分の本当の気持ちを第一に考え、勇気を出して辞めたい旨を伝えました。
自分の心に正直に向き合い、自分の「心の声」に従い、次の事を確認しました。

・「自分の本当にやりたいことは何か?」を明らかにする。
・心の声に素直に従った生き方をする。自分の笑顔を大切にした生き方をする。
・自分の実力以上の無理はしない(「自分がやれるのはここまで」というラインを明らかにする)。
・「頑張りすぎない」ことを徹底して心がける。

結局、それから半年後に退職しました。退職後、気付いたらウツ症状もなくなっていました。

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